人の心に灯をともす 5855 夢中になって生きる

【夢中になって生きる】5855



土光敏夫氏の心に響く言葉より…


《支えなんかあって、生きていけるか。》



土光敏夫・としお/1896~1988

(岡山県生まれ。東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業。石川島播磨重工業(現・IHI) 社長、東芝社長、会長などを歴任。第4代経団連会長も務めた。晩年には「土光臨調」と呼ばれる行政改革を先頭に立って断行した。)


「メザシの土光さん」ともいわれた土光氏は、その質素な生活から多くの人に好感をもたれ、その後のいわゆる土光臨調においても国民の後押しを受けた。


この言葉は、オイルショックの影響で長期不況に陥っていた時のもので、当時81歳 の土光氏は、取締役相談役であった東芝に朝7時半には出社し、9時過ぎには大手町の経団連に入っていたそうだ。

その時、記者の「会長は何を支えに今日まで生きてこられましたか?」との問いにこう答えている。



「バカなこと聞くなよ。

支えなんかあって生きられるもんじゃないよ。

毎日、毎日、生命があったから一生懸命生きてきただけ、それだけだよ。

夢中になって生きてきた。

石播(いしはり)も、東芝も、それに経団連も、与えられた仕事に対して、それが自分の運命だと思って、ただ没頭してきただけだよ」



『君に100の成功を贈る』経済界
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松下幸之助氏は自分の「運命」についてこう語る。

『人生というものは、そのほとんどの部分がいわゆる運命というものによって決められているのではないか。

自分のこれまでの歩みをふり返ってみるとき、どうもそんな気がしてなりません。

というのは、世の中には、すぐれた人がたくさんいます。

体が丈夫、高い学問がある、素質、才能に恵まれている等々、そのどれ一つとっても、 私はずっと下の方だと思います。

しかし、そうはいっても、今思えばこういうことは言えるのかもしれません。

それは、運命というものを自分なりに、あるいは自然のうちに前向きに生かそうとしてきたということです。

家が貧しかったために、丁稚(でっち)奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。

生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。

学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。

あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた』(人生心得帖/社員心得帖/PHPビジネス新書)より



まさに、自分に与えられた運命をどうとらえるか、だ。

蒔(ま)かれたところで、文句をいわず、一所懸命咲こうとしているのか。

幸之助氏のように、「病気」や「貧乏」「無学歴」を嘆かず、このことがあったおかげで、成長できた、と感謝までできるのか。

我々の普段の生きざまが問われている。


目の前に与えられたことに・・・

夢中になって生きる人でありたい。




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