人の心に灯をともす 5611 思い通りにならないこと

【思い通りにならないこと】5611



元結(もっとい)不動 密蔵院住職、名取芳彦(ほうげん)氏の心に響く言葉より…



私たちにネガティブやマイナスの感情が起きるのは、自分の都合通りになっていないときです。

「苦=自分の都合通りにならないこと」は仏教以前のインド哲学で解明された定義ですが、いつの世にも通じる真理でしょう。


言いかえれば、私たちは自分の都合通りになってさえいれば幸せで、不幸を感じるのは自分の都合通りになっていないから、ということになります。

ですから、自分に都合(願い)がある限り、幸も不幸もあるのは当たり前なのです。


「あの人は幸せそうでいいなぁ」と、うらやましがっている場合ではありません。

幸せかどうかは本人が決める問題で、他人が決めるものではないからです。

“あの人” は"あの人の願い通りになっている”から幸せそうなのか、単にあなたの価値観に合わせると幸せそうなのかをチェックする余裕は持っていたいものです。


自分の都合が自分の努力で実現可能なら努力すればいいのです。

しかし、自分の努力だけではどうにもならないと思うなら、自分の都合を少なくするよう努めるしか、 幸せになる方法はないでしょう。


《幸も、不幸も、あって当たり前・・・すべては「あなたの都合」しだい》


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小林正観さんは「苦」についてこう語っている。


『思い通りにならない、それが「苦」。

「思い」がなければ、思い通りにならないという現象は起きない。

「苦」は生じない。「思い」を持たない。

それは、目の前で次々と起きる一般的に不幸だといわれている現象に対しても、「ああ、そうなりましたか」と単なる日常の1ページとして、淡々として受け入れていくということです。』


仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がある。

世の中はすべてが「苦」である、という意味だ。

世の中は「苦」で満ちているということではない。

仏教では思い通りにならないことを「苦」というからだ。


「生老病死(しょうろうびょうし)」を「四苦(しく)」という。

「生」(生きること)には、人間関係やお金のこと、親しい人との別れなど、様々な思い通りにならないことがある。

他に、思い通りにならないことは、「老」という老いること、「病」という病気になること、そして、死ぬこと。


お釈迦様は「苦」の本質は「執着」であると説いた。

執着とは「こだわり」や「とらわれ」。

その執着をなくす方法は、「ああ、そうなりましたか」と淡々と受け入れること。


「思い通りにならない」という執着を捨てることができる人でありたい。





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