人の心に灯をともす 5533 その人だけが持っている美を観る
【その人だけが持っている美を観る】5533
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
中江藤樹は人を育てることに生涯を賭した人である。
中でも、生来の 「愚魯鈍昧(ぐろどんまい)」といわれた大野了佐(りょうさ)との逸話は忘れ難い。
藤樹の伊予大洲(おおず)時代の友人、大野勝介(しょうすけ)の次男が了佐である。
了佐が藤樹の後を追って小川(滋賀県高島郡)に来た時、藤樹三十一歳、了佐二十七歳。
僅か四歳の違いである。
どうしても医者になりたいという了佐。
藤樹は当時の医学入門書『医方(いほう)大成論』を読むことから始める。
『藤樹先生年譜』によると、 「先(まず)二三句ヲ教ルコト二百遍バカリ、巳(み)ヨリ申(さる)ニ及デ漸(ようや)ク記ス」
たった二、三句を覚えさせるのに二百回繰り返し、巳(み)の刻から申(さる)の刻まで、つまり午前十時頃から午後四時頃までかかったという。
それで終わりではない。「食ニ退(さが)ツテ后(のち)、コレヲ読ニ皆忘了(わすれおわ)ル」。
夕食を終えて復習してみると、ケロリと忘れてしまっている。
後年、藤樹は「われ了佐においてほとんど精根を尽くす」と語っている。
しかし了佐は諦めない。
その熱心さに打たれ、藤樹は了佐のためにわざわざ 捷径医筌(しょうけいいせん/六巻)』 という教科書を作り、与えている。
師弟一体の努力により、了佐は立派な医者になった。
藤樹は言う。
「彼、甚(はなは)だ愚昧(ぐまい)なりといえども、その勉励(べんれい)の力は甚だ奇なり」
「随人観美(ずいじんかんび)」という言葉がある。
人にしたがって美を観る。
その人だけが持っている美を観ろ、の意である。
人を育てる要諦であろう。
藤樹はその最たる人であった。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)も多くに影響を与えた。
その徂徠の人を育てる要諦として人 口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)される徂徠訓を、最後に掲げる。
一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて始めて長所の現わるるものなり。
二、人はその長所のみを取らば即(すなわ)ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用うる勿(なか)れ。
四、小過を咎(とが)むる要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用うる上は、その事を十分に委(ゆだ)ぬべし。
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。 器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
『小さな人生論5』致知出版社
https://amzn.to/4ceZSVJ
大野了佐は生まれつき、字を覚えたり、理解したりするのが苦手だった。
そんな了佐だったので、父は武士になることを認めなかった。
しかし、了佐は「病気で苦しむ人を助ける医者になりたい」と渇望して、石にかじりついても頑張るといい、中江藤樹先生に頼み込んだ。
通常の教科書では理解できない了佐のために、中江藤樹は400字詰めの原稿用紙にして、1000枚にもなる手書きの教科書を作った。
毎日超多忙な中、身を削り、夜中までかかって了佐一人のために作ったものだという。
それも、尋常ならざる了佐の熱意を藤樹が感じ取ったからこそだった。
安岡正篤師はそれをこう語っている。
「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。
別に偉い人になる必要はないではないか。
社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。
そういう生き方を考えなければならない」
「その人だけが持っている美を観る」という姿勢を持ち…
賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していける人でありたい。
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
中江藤樹は人を育てることに生涯を賭した人である。
中でも、生来の 「愚魯鈍昧(ぐろどんまい)」といわれた大野了佐(りょうさ)との逸話は忘れ難い。
藤樹の伊予大洲(おおず)時代の友人、大野勝介(しょうすけ)の次男が了佐である。
了佐が藤樹の後を追って小川(滋賀県高島郡)に来た時、藤樹三十一歳、了佐二十七歳。
僅か四歳の違いである。
どうしても医者になりたいという了佐。
藤樹は当時の医学入門書『医方(いほう)大成論』を読むことから始める。
『藤樹先生年譜』によると、 「先(まず)二三句ヲ教ルコト二百遍バカリ、巳(み)ヨリ申(さる)ニ及デ漸(ようや)ク記ス」
たった二、三句を覚えさせるのに二百回繰り返し、巳(み)の刻から申(さる)の刻まで、つまり午前十時頃から午後四時頃までかかったという。
それで終わりではない。「食ニ退(さが)ツテ后(のち)、コレヲ読ニ皆忘了(わすれおわ)ル」。
夕食を終えて復習してみると、ケロリと忘れてしまっている。
後年、藤樹は「われ了佐においてほとんど精根を尽くす」と語っている。
しかし了佐は諦めない。
その熱心さに打たれ、藤樹は了佐のためにわざわざ 捷径医筌(しょうけいいせん/六巻)』 という教科書を作り、与えている。
師弟一体の努力により、了佐は立派な医者になった。
藤樹は言う。
「彼、甚(はなは)だ愚昧(ぐまい)なりといえども、その勉励(べんれい)の力は甚だ奇なり」
「随人観美(ずいじんかんび)」という言葉がある。
人にしたがって美を観る。
その人だけが持っている美を観ろ、の意である。
人を育てる要諦であろう。
藤樹はその最たる人であった。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)も多くに影響を与えた。
その徂徠の人を育てる要諦として人 口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)される徂徠訓を、最後に掲げる。
一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて始めて長所の現わるるものなり。
二、人はその長所のみを取らば即(すなわ)ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用うる勿(なか)れ。
四、小過を咎(とが)むる要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用うる上は、その事を十分に委(ゆだ)ぬべし。
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。 器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
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大野了佐は生まれつき、字を覚えたり、理解したりするのが苦手だった。
そんな了佐だったので、父は武士になることを認めなかった。
しかし、了佐は「病気で苦しむ人を助ける医者になりたい」と渇望して、石にかじりついても頑張るといい、中江藤樹先生に頼み込んだ。
通常の教科書では理解できない了佐のために、中江藤樹は400字詰めの原稿用紙にして、1000枚にもなる手書きの教科書を作った。
毎日超多忙な中、身を削り、夜中までかかって了佐一人のために作ったものだという。
それも、尋常ならざる了佐の熱意を藤樹が感じ取ったからこそだった。
安岡正篤師はそれをこう語っている。
「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。
別に偉い人になる必要はないではないか。
社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。
そういう生き方を考えなければならない」
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