人の心に灯をともす 5646 目立たぬよう、際立たぬよう

【目立たぬよう、際立たぬよう】5646



松原泰道師の心に響く言葉より…


陰徳は、本来道家で説かれる徳目の一つで、人に知られないところで道徳行為を実践することです。

漢代の道家思想を中心に編まれた『淮南子(えなんじ)』という書物は、「陰徳あれば必ず陽報あり(人知れず善行を積んだ人は、必ず目に見えてよい報いに恵まれる)」と説きます。


仏教でも陰徳を積むことを「積徳(せきとく)」といい、とくに禅では欠かせない修行です。

しかし 禅者は、「陽報」を期待する積徳は功利的として遠ざけます。

ご褒美目あてでなく、陰徳は、人間としてなすべき行為であるという理由から、人目に触れないところで実践されるのです。

“目立たぬように・際立たぬように・さりげなく”というのが、積徳には欠かせ ない三条件です。


私は、自分の父であり師である祖来(そらい)和尚から、「エンマさんにも知られないように徳を積め」といわれたものです。

禅者の積む陰徳の範囲は広大です。

この三条件を胸に刻んだうえで、人に親切にすることから、一滴の水、一枚のティッシュペーパーも粗末にしないことにまで及びます。

したがって、人からの好意や時間を無駄にするのはもちろんのこと、物を粗末にすることもまた「不陰徳(ふいんとく)」と戒めます。


現代は、食料をはじめ、物が豊富なので、とかく不陰徳しがちです。

人の心も物品も、 ともに大切する積徳の習慣は、長寿や健康保持とも無関係ではありません。

水一滴をも大切に生かして使う心を養うなら、自然に自分の心身に対する心配りも生まれ、その結果、健康になる道理です。


『松原泰道の養生訓 戒語(かいご)』三笠書房
https://q.bmd.jp/91/119/349/__no__





陽報を求めてする陰徳は、陰徳とは言わない。

こんな話がある。

1500年以上前のこと、達磨大師は王宮に招かれ、国王である武帝から質問された。

「私はこれまでたくさんの寺院を建立したり、寄進をしてきた。果たして私にはどんな功徳があるのか?」

達磨大師はひとこと「無功徳(功徳はない)」と答えたという。

良い報いを期待して行う善行は善行とは言わないからだ。



「潜行蜜用 如愚如魯(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)」 という禅の言葉がある。

目立たぬよう、際(きわ)立たぬよう、誰がしたかわからないように、ひそかに淡々と、愚直に、日々自分のベストを尽くすこそが大事だ、ということ。

注目をあびたい、有名になりたい、などということは、この「潜行蜜用」の真逆にある言葉。


現代は、SNSやブログなどで個人の発信がいともたやすくできる時代。

ちょっとしたこともアップしたくなる。


目立たぬよう、際立たぬよう…

陰徳を積む人でありたい。




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