人の心に灯をともす 5440 東洋的リーダーとは
【東洋的リーダーとは】5440
安岡正篤師の心に響く言葉より…
東洋人、つまり日本人でも中国人でも心ある人々、民衆が敬慕するような人の奥深くには虚無的な人生観があります。
古来の名宰相と言われたような人を深く観察してみると、共通して良い意味の無常観がある。
例えば、宰相になって得意になるような人、宰相になって非常に派手にやるというような人は、名宰相の中には入らぬ。
東洋古今のこの宰相学というものを学んで みると、そういう宰相はだめだ、落第である。
本当の宰相は共通して、宰相たるこ とに淡々としておる。
満足とか得意とか、いわんや誇りとか名誉とかそういう主観を持っておらん。
極めて自然であって、そして余裕があり、どこか一抹の寂しさを持っている。
難しく言えば、虚無的なものがある。
満足とか得意といったことを意識しない。
東洋人の本能というのだろうか、多くの人々は本能でそういう宰相に共鳴する。
日本の近代で言えば、明治維新を成し遂げた西郷南洲が最も代表的な人でしょう。
西郷という人は、名誉だとか地位だとか権勢だとか、そういうものを誇るということが一つもなかった。
淡々として、どうかすると、非常に虚無的であった。
こういう人こそ真実の人、真人であります。
地位だの名誉だの権力だの、そういう位階・声望というものはこれは世の中の事実だから、私もそのまま肯定するけれど、それに対しては、淡々としてなんらの私心を持たない。
廟堂に立っても、村巷におっても平常である。
いつも変わらない。
こういうのが東洋・和漢を通ずる真人の境地であって、そういう人の典型が宰相にふさわしい人物である。
これは東洋の政治哲学の一つであります。
現代の日本の政治家とか経営者はその地位に就くと、嬉々として嬉しがる、幅を利かす、得意になる。
それで大臣や社長を辞めるときには、むやみに執着する、未練を残す、苦悩する。
しかし、これは東洋の宰相、リーダーたる資質じゃない。
淡々として、水のごとしというところがあって初めて東洋人の好む、仰望(ぎょうぼう)する人、宰相であります。
西郷さんなどは生活も自然で簡素である。
だいたい豪邸を造るなんていうのは本当の宰相の器量じゃない。
あれは成り上がり者のやることだ。
そこへいくと明治の人は偉かった。
私は感心したんだが、伊藤博文などは、本来は成り上がり者です。
長州藩のまったくの小物から出世した人物で、高杉晋作や久坂玄瑞(げんずい)などは「俊輔、俊輔」と呼び付けて手先に使い、あまり期待しておらなかった。
彼らから言うなら、駆け出しの人物だったのですが、それでも明治の時代には あのような大宰相になった。
表面的にはたしかに贅沢な人であった。
世間はどんなにか財産を残しておるだろうと言うておったのだが、死んでみたら何もなかった。
財産らしい財産というものは、大磯の別荘、有名な滄浪閣(そうろうかく)だけだったが、それも彼が造ったのではなく、誰かが献上したものである。
伊藤さんが亡くなったら跡取りには何も残らなかった。
すっかり貧乏してしまって、ずいぶん生活に困った。
それくらいあの派手な伊藤さんは資産を持たなかった。
持たなくたってあれだけ贅沢に暮らせれば、それはそれでいい。
死んで贅沢する必要はないのだからそれでいい。
子供は迷惑かも知らんが、子供は子供でやるがいい。
「子孫自ずから子孫の計あり」 という格言もある。
達人から言えば、倅(せがれ)は枠でやるがいい。
やれんような倅じゃ仕方がない。
そこまで伊藤さんなんて達観しておったんでしょう。
子孫の計なんかほとんどやってない。
西郷さんはもとよりです。
『酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)』PHP文庫
https://amzn.to/3InQa6I
伊藤肇氏は、東洋人物学では「出処進退」が重視されるという。
『「出処進退」では、特に「退」が重視される。
「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。
女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。
「退」に人間の出来、不出来がはっきりと出る。
たとえば、「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。
誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。
「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。
それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。
いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。
だから、そこのところを凝視しておれば、ホンモノかニセモノかがよくわかる、という寸法である。』(帝王学ノート /PHP文庫)より
西郷隆盛を生んだ薩摩には「きれいご免さあ」という言葉がある。
名誉も、財産も、命にも執着がなく、いつでもそれを恬淡(てんたん)として捨てることができる身ぎれいな男をさす言葉だ。
それを「ぼっけもん」(快男児)という。
「命もいらず、名もいらず、官位もいらず、金もいらぬという人は始末に困る」
という西郷の言葉があるが、それこそが、東洋的宰相の器であり、人物である。
東洋的リーダーの資質を少しでも身につけたい。
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安岡正篤師の心に響く言葉より…
東洋人、つまり日本人でも中国人でも心ある人々、民衆が敬慕するような人の奥深くには虚無的な人生観があります。
古来の名宰相と言われたような人を深く観察してみると、共通して良い意味の無常観がある。
例えば、宰相になって得意になるような人、宰相になって非常に派手にやるというような人は、名宰相の中には入らぬ。
東洋古今のこの宰相学というものを学んで みると、そういう宰相はだめだ、落第である。
本当の宰相は共通して、宰相たるこ とに淡々としておる。
満足とか得意とか、いわんや誇りとか名誉とかそういう主観を持っておらん。
極めて自然であって、そして余裕があり、どこか一抹の寂しさを持っている。
難しく言えば、虚無的なものがある。
満足とか得意といったことを意識しない。
東洋人の本能というのだろうか、多くの人々は本能でそういう宰相に共鳴する。
日本の近代で言えば、明治維新を成し遂げた西郷南洲が最も代表的な人でしょう。
西郷という人は、名誉だとか地位だとか権勢だとか、そういうものを誇るということが一つもなかった。
淡々として、どうかすると、非常に虚無的であった。
こういう人こそ真実の人、真人であります。
地位だの名誉だの権力だの、そういう位階・声望というものはこれは世の中の事実だから、私もそのまま肯定するけれど、それに対しては、淡々としてなんらの私心を持たない。
廟堂に立っても、村巷におっても平常である。
いつも変わらない。
こういうのが東洋・和漢を通ずる真人の境地であって、そういう人の典型が宰相にふさわしい人物である。
これは東洋の政治哲学の一つであります。
現代の日本の政治家とか経営者はその地位に就くと、嬉々として嬉しがる、幅を利かす、得意になる。
それで大臣や社長を辞めるときには、むやみに執着する、未練を残す、苦悩する。
しかし、これは東洋の宰相、リーダーたる資質じゃない。
淡々として、水のごとしというところがあって初めて東洋人の好む、仰望(ぎょうぼう)する人、宰相であります。
西郷さんなどは生活も自然で簡素である。
だいたい豪邸を造るなんていうのは本当の宰相の器量じゃない。
あれは成り上がり者のやることだ。
そこへいくと明治の人は偉かった。
私は感心したんだが、伊藤博文などは、本来は成り上がり者です。
長州藩のまったくの小物から出世した人物で、高杉晋作や久坂玄瑞(げんずい)などは「俊輔、俊輔」と呼び付けて手先に使い、あまり期待しておらなかった。
彼らから言うなら、駆け出しの人物だったのですが、それでも明治の時代には あのような大宰相になった。
表面的にはたしかに贅沢な人であった。
世間はどんなにか財産を残しておるだろうと言うておったのだが、死んでみたら何もなかった。
財産らしい財産というものは、大磯の別荘、有名な滄浪閣(そうろうかく)だけだったが、それも彼が造ったのではなく、誰かが献上したものである。
伊藤さんが亡くなったら跡取りには何も残らなかった。
すっかり貧乏してしまって、ずいぶん生活に困った。
それくらいあの派手な伊藤さんは資産を持たなかった。
持たなくたってあれだけ贅沢に暮らせれば、それはそれでいい。
死んで贅沢する必要はないのだからそれでいい。
子供は迷惑かも知らんが、子供は子供でやるがいい。
「子孫自ずから子孫の計あり」 という格言もある。
達人から言えば、倅(せがれ)は枠でやるがいい。
やれんような倅じゃ仕方がない。
そこまで伊藤さんなんて達観しておったんでしょう。
子孫の計なんかほとんどやってない。
西郷さんはもとよりです。
『酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)』PHP文庫
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伊藤肇氏は、東洋人物学では「出処進退」が重視されるという。
『「出処進退」では、特に「退」が重視される。
「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。
女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。
「退」に人間の出来、不出来がはっきりと出る。
たとえば、「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。
誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。
「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。
それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。
いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。
だから、そこのところを凝視しておれば、ホンモノかニセモノかがよくわかる、という寸法である。』(帝王学ノート /PHP文庫)より
西郷隆盛を生んだ薩摩には「きれいご免さあ」という言葉がある。
名誉も、財産も、命にも執着がなく、いつでもそれを恬淡(てんたん)として捨てることができる身ぎれいな男をさす言葉だ。
それを「ぼっけもん」(快男児)という。
「命もいらず、名もいらず、官位もいらず、金もいらぬという人は始末に困る」
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