人の心に灯をともす 5649 まず面白がること
【まず面白がること】5649
宇野千代氏の心に響く言葉より…
この暮れで、私は満七十四歳になった。
年齢を聞くと、だれでも、何というおばあさんかと呆れる。
しかし、本人の私は、自分のことをおばあさんなどと思ったことは一度もない。
私は民謡の踊りを習っているが、自分の踊っている格好を鏡に映してみても、おばあさんが踊っているとは思わない。
この間、アメリカのシアトルで美容院をやっているという人に会って、この話をしたら、一度アメリカに来て、その踊りをアメリカ人に見せてやらないかと言う。
こんなとき、私は決して、「まァ、そんなことはできませんわ」などとは言わない。
七十四歳で も、アメリカ人の前で平気で踊れる、と思うのである。
私は何でも、まず、面白いな、と思う。
面白いと思ったものは、すぐに行動に移す。
七十四歳になっていても同じである。
行動に移すと、たちまち、もっと面白くなる。
体に弾みがつくからだ。
ときには人に、やれやれと思うようなことを頼まれることもある。
可厭(いや)だな、と思ったら、やり切れない。
そんなとき、可厭だと思わないコツは、まず、体を動かして、一歩、そのために歩き出す。
その事柄に身を入れる。
突入する。
何のことはない、可厭だと思ったのはまちがいで、実はこんなに愉しいことなのではないか。
そう思うようになる。
愛する、などと人は言うが、これは違った言葉で言うと、一歩、そのことのために歩き出すことではないのか。
弾みがついて、もっとそれをしたくなることではないのか。
可厭だと思わず、まず面白がることではないのか。
すると、困難だと思ったことが、とても愉しくやれるのではないか。
私はいつでもこの流儀で、ものごとの中に突入する。
面白くないということはほとんどない。
弾みがつくから面白くなるのである。
人間はコマと同じである。
「どうしてそんなにお若いのですか」とよく人が私に訊くが、私は朝晩のいろいろなことを、面白がってやることだと答える。
何のことはない。
たったそれだけのことである。
『60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人』PHP研究所
https://q.bmd.jp/91/119/415/__no__
「過去の自慢話しかしない大人が多いじゃないですか。
今、何をやるか。
これから何をやれるか。
何に面白がれるか。
それしかすてきじゃないでしょ」(女優・桃井かおり)
「昔はどうだった」とか「あの時は楽しかったね」、と昔のことばかり話をする人がいる。
昔をなつかしみ、過去を振り返る、現状を楽しんでいない人だ。
現状に不満を持ち、過去に逃げようとする。
今を楽しんでいる人は、あらゆることに好奇心があり、面白がることができる人だ。
好奇心があって、面白がる人には行動力がある。
面白そうな人にすぐに会いに行ったり、面白い店にもすぐに出かける。
そうやって面白がる人には情報が集まる。
反対に、面白がらない人には情報は集まらない。
「あそこに素敵なお店ができたよ」と教えても、つまらなそうな反応しか返ってこないからだ。
世の中に、「面白いこと」や「楽しいこと」が転がっているわけではない。
それを「面白がれる人」「楽しめる人」がいるだけだ。
「まず面白がること」という言葉を胸に刻みたい。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!
https://q.bmd.jp/91/119/416/__no__
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
■メルマガの登録と解除はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/417/__no__
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
https://q.bmd.jp/91/119/418/__no__
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
https://q.bmd.jp/91/119/419/__no__
■X(旧ツイッター)はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/420/__no__
宇野千代氏の心に響く言葉より…
この暮れで、私は満七十四歳になった。
年齢を聞くと、だれでも、何というおばあさんかと呆れる。
しかし、本人の私は、自分のことをおばあさんなどと思ったことは一度もない。
私は民謡の踊りを習っているが、自分の踊っている格好を鏡に映してみても、おばあさんが踊っているとは思わない。
この間、アメリカのシアトルで美容院をやっているという人に会って、この話をしたら、一度アメリカに来て、その踊りをアメリカ人に見せてやらないかと言う。
こんなとき、私は決して、「まァ、そんなことはできませんわ」などとは言わない。
七十四歳で も、アメリカ人の前で平気で踊れる、と思うのである。
私は何でも、まず、面白いな、と思う。
面白いと思ったものは、すぐに行動に移す。
七十四歳になっていても同じである。
行動に移すと、たちまち、もっと面白くなる。
体に弾みがつくからだ。
ときには人に、やれやれと思うようなことを頼まれることもある。
可厭(いや)だな、と思ったら、やり切れない。
そんなとき、可厭だと思わないコツは、まず、体を動かして、一歩、そのために歩き出す。
その事柄に身を入れる。
突入する。
何のことはない、可厭だと思ったのはまちがいで、実はこんなに愉しいことなのではないか。
そう思うようになる。
愛する、などと人は言うが、これは違った言葉で言うと、一歩、そのことのために歩き出すことではないのか。
弾みがついて、もっとそれをしたくなることではないのか。
可厭だと思わず、まず面白がることではないのか。
すると、困難だと思ったことが、とても愉しくやれるのではないか。
私はいつでもこの流儀で、ものごとの中に突入する。
面白くないということはほとんどない。
弾みがつくから面白くなるのである。
人間はコマと同じである。
「どうしてそんなにお若いのですか」とよく人が私に訊くが、私は朝晩のいろいろなことを、面白がってやることだと答える。
何のことはない。
たったそれだけのことである。
『60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人』PHP研究所
https://q.bmd.jp/91/119/415/__no__
「過去の自慢話しかしない大人が多いじゃないですか。
今、何をやるか。
これから何をやれるか。
何に面白がれるか。
それしかすてきじゃないでしょ」(女優・桃井かおり)
「昔はどうだった」とか「あの時は楽しかったね」、と昔のことばかり話をする人がいる。
昔をなつかしみ、過去を振り返る、現状を楽しんでいない人だ。
現状に不満を持ち、過去に逃げようとする。
今を楽しんでいる人は、あらゆることに好奇心があり、面白がることができる人だ。
好奇心があって、面白がる人には行動力がある。
面白そうな人にすぐに会いに行ったり、面白い店にもすぐに出かける。
そうやって面白がる人には情報が集まる。
反対に、面白がらない人には情報は集まらない。
「あそこに素敵なお店ができたよ」と教えても、つまらなそうな反応しか返ってこないからだ。
世の中に、「面白いこと」や「楽しいこと」が転がっているわけではない。
それを「面白がれる人」「楽しめる人」がいるだけだ。
「まず面白がること」という言葉を胸に刻みたい。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!
https://q.bmd.jp/91/119/416/__no__
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
■メルマガの登録と解除はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/417/__no__
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
https://q.bmd.jp/91/119/418/__no__
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
https://q.bmd.jp/91/119/419/__no__
■X(旧ツイッター)はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/420/__no__