人の心に灯をともす 5708 超人を目ざして飛ぶ一本の矢

【超人を目ざして飛ぶ一本の矢】5708



齋藤孝氏の心に響く言葉より…


《君こそが憧れる存在になれ。なぜなら、君は友にとって、超人を目指して飛ぶ一本の矢、憧れの熱意であるべきだから。》(ニーチェ/ツァラトゥストラ)


気の置けない友人と「いやあ、もうなんだかやる気が起きないよ」 「かったるいよな」などと言い合うのも、日常的には悪くないと思います。

しかし、できれば周囲に一人くらい、「矢のように飛んでいる」友人がいるといいですね。

「あの人、久しぶりに会ったけれど、相変わらず矢のように飛んでいたなあ!」と思わせるような、情熱と勢いのある人です。

自分が好きなものに夢中になって「矢のように飛んでいる」人は、どこか輝いて見えるもので、たとえば、私が中学生のとき、上林先生というライオンのように怖い顔をした先生がいらしたのですが、ある日「私は月に一回、東京にフルートを習いに行っているんだ」と、嬉しそうに話されたのです。


教師の中には、どこかで止まってしまう人もいます。

しかし、上林先生には、東京にフルートの先生がいて、そこに憧れをもって習いに行っているというわけです。

つまり、憧れの対象を持っているのですね。


したがって、生徒からすれば、「憧れに憧れる」といったところでしょうか。

学び続ける先生の輝く姿を見て、「いい先生だなあ」と、当時みんなが感じたものです。

何歳になっても夢中になって飛んでいる人がいます。

なかには「英語は堪能だけれど、英語に対する情熱はもうないんだろうなあ」という英語教師もいますし、「数学を教えることに疲れ、飽きているんだなあ」と感じる数学教師もいます。

彼らは、いわば、矢が地面に落ちてしまった状態にあるといえるでしょう。


みなさんも、懐かしい先生たちの顔を思い出してみてください。

「あの先生は飛んでいた」「あの先生は落ちてしまっていた」というように、明らかに区別ができるはずです。


ニーチェは「超人を目ざして飛べ」と言っています。

この「超人」とは、今の自分を乗り越えていく人のことです。

常に今の自分を乗り越えていく超人状態を目ざして飛ぶということが、重要なポイントになるのです。

自分自身が「超人を目ざして飛ぶ一本の矢」であるかどうか、折に触れ、問いかけてみましょう。


『君は君の道をゆけ』ワニブックス
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齋藤孝氏は、「”ちょっと尊敬”される人になる本/三笠書房」の中でこう語っている。


『かつて向上心を持っていて、いまは向上心がなくなった人というのは、“知的好奇心の矢”が飛び終わった人である。

教師でも、この人はもう終わったなという先生、情熱がほとんど失せてしまった先生もいれば、年をとるごとに情熱が高まる先生もいる。

若いときは同じように向上心があっても、30歳を過ぎるとだんだんその差が激しくなってくる。

だから私は「知的加速度」が大事だと思う。』


「ああ、この人は、もう終わった人だな」と思うことはよくある。

新しいことや未来のことを何も話さず、ひたすら過去の話や、自分の自慢話ばかりをするような人だ。


反対に、いくつになっても、燃えるような情熱を持っている人もいる。

新しいことや未来に対して、子どものような好奇心を持ち、学び続ける人だ。


「超人を目ざして飛ぶ一本の矢」という言葉を胸に刻みたい。





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