人の心に灯をともす 5721 あったかい座ぶとんのような人

【あったかい座ぶとんのような人】5721



青山俊董(しゅんどう)氏の心に響く言葉より…


《おてんとうさまの ひかりをいっぱい吸った あったかい座ぶとんのような人》(相田みつを)


寒い日、来客にひなたに干してあった座ぶとんを勧めた。

座るなり「あったかーい」 と喜んでくれた客の声を聞き、相田みつをさんの座ぶとんの詩を思った。


修行の道場は大部屋生活である。

「私が主人公」という顔をして座ぶとんに座りたい人ばかりが揃うと、とかく波立っておだやかでない。

座ぶとん役になれる人が一人か二人いることで何とか波はおさまる。


座ぶとんの配役は下に敷かれるという配役である。

下に敷かれながら、ときに姿まで 隠してしまう存在である。

全く自己主張なく下に敷かれながら、しかもその人の全身をやわらかくふんわりとあたためる役。


ああ何とすばらしく、また何と難しいことであろう。

精神的に大人として成熟した人にして、はじめてつとめうる配役であろうと思う。


『あなたに贈る 人生の道しるべ 続・ことばの花束』春秋社
https://q.bmd.jp/91/119/1645/__no__





中国に「三宝」の教えというものがあるそうです。

三つの宝。

一つは、いつくしみ、慈だと。

一つは、倹、つまり、自分の私心をなくすこと。

三つ目が、人を前に出すことだという。

これが、三つの宝の一番、素晴らしい宝だそうです。

自分が前に出ようとしない、人を前に出すこと。

それは、肩の力がまったくない。

魅力的な方ってのは、何といっても、肩の力が抜けている人、身構えのない人。


以上、(随処に主となる: 自分の人生を自分が主人公として生きる /致知出版社)より



座ぶとんの配役は、自分が前に出ようとしない、人を前に出すことができる人。

それは、身構えない人であり、肩の力が抜けている人だ。



また、森信三師は、「下座行(げざぎょう)」についてこう語っている。

『そもそも一人の人間が、その人の真価より、はるかに低い地位に置かれていながらそれに対して毫(ごう)も不満の意を表さず、忠実にその任を果たすというのが、この「下座行」の真の起源と思われる。』


昨今は、自己アピール全盛の時代だ。

自分を知ってもらわなければ、不当に評価され冷や飯を食わされる、と自分を必要以上に大きく見せる人も多い。

それとは、真逆な考え方が、この「下座行」であり、「人を前に出すことができる人」だ。


どんなに低く見られようと、それを、微塵(みじん)も不満に思わず、自分より他人を立て、自分は気配まで消して黒子に徹する。

そして、人をあたたかく包む。

まさに、いつくしみの心であり、慈愛だ。


「あったかい座ぶとんのような人」という言葉を胸に刻みたい。





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