人の心に灯をともす 5864 自分の思いどおりにならないこと
【自分の思いどおりにならないこと】5864
小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦様によれば、「苦」とは、自分の思いどおりにならないこと、の意でした。
あれが欲しい、こうしたい、こうなりたいという思いが強ければ強いほど、「苦」は大きくなります。
悩み苦しんでいる人ほど、強い思いを抱いているものです。
なぜ思いが強いのか。
幸福とは、自分が欲しいものを手に入れること、望みどおりのものを手に入れることと定義され、それを受け入れてしまったからです。
自分が望むものをリストアップし、それを手に入れたら幸せなのだ、思いどおりになれば幸せなのだと洗脳されてきたからです。
あらためて考えてみます。
幸せはどこにありますか。
幸せという名の現象をここに運んできてくださいと問えば、誰も持ってくることはできません。
ダイヤモンドは、持ってくることができます。
ガラスのコップも持ってこられます。
では幸せはと尋ねて、百人が百人、これがそうですと言えるものはありません。
結婚式で、幸せになれてよかったねというような祝辞が述べられますが、結婚は幸せへのゴールインではありません。
単なるスタートです。
二人が一緒になるというのは、百人いれば百違う人格同士が一緒になることです。
二人が折り合って生きていくことです。
自分を押し通すわけにいかなくなるので、これから面倒なことが始まります。
ソクラテスの妻クサンチッペは悪妻の代名詞のようにいわれています。
しかし、ソクラテスの側にも問題があった。
毎日、街角で弟子たちと一銭にもならない対話に明け暮れていた。
妻は自分の仕事を持っていて朝早く家を出て、仕事して、夕刻帰宅して食事の用意をして・・・ソクラテスの面倒を見て、家を支えた。
妻が疲れて寝入っている午前二時か三時頃、ソクラテスは帰ってきて、ドンドンとドアを叩く。
クサンチッペは上の窓からバシャと水をぶっかけることもあった。
弟子たちは、あんなひどい奥さんと離縁してもっとやさしい女性をもらったらとすすめた。
ソクラテスは答えた。
「良妻をめとった者は世界一の幸せ者になれる。悪妻をめとった者は世界一の哲学者になれる」。
ソクラテスはあれこれが気に入らないと思うタイプの人ではなかった。
世界一の哲学者になった。
幸せという現象がどこかに存在するわけではありません。
自分は幸せだと認識するかどうかです。
ああ今、幸せだ・・・と自分が認識するだけです。
『淡々と生きる』風雲舎
https://q.bmd.jp/91/119/4045/__no__
仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がある。
世の中はすべてが「苦」である、という意味だ。
世の中は「苦」で満ちているということではない。
仏教では思い通りにならないことを「苦」というからだ。
「生老病死(しょうろうびょうし)」を「四苦(しく)」という。
「生」(生きること)には、人間関係やお金のこと、親しい人との別れなど、様々な思い通りにならないことがある。
「老」という老いることも、思い通りにならない。
人は必ず老いるからだ。
「病」という病気になること、そして、死ぬこと、も思い通りにはならない。
お釈迦様は「苦」の本質は「執着」であると説いた。
執着とは「こだわり」や「とらわれ」。
その執着をなくす方法は、「ああ、そうなりましたか」、「なるほど、そうきたんですね」と淡々と受け容れること。
「受け容れる」ということは、「気にならなくなる」ということでもある。
相手を変えようとするのではなく、自分の許容度や許容量を上げること。
「そういう人もいるよね」と気にならない人になること。
「苦」とは、自分の思いどおりにならないこと、という言葉を胸に刻みたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦様によれば、「苦」とは、自分の思いどおりにならないこと、の意でした。
あれが欲しい、こうしたい、こうなりたいという思いが強ければ強いほど、「苦」は大きくなります。
悩み苦しんでいる人ほど、強い思いを抱いているものです。
なぜ思いが強いのか。
幸福とは、自分が欲しいものを手に入れること、望みどおりのものを手に入れることと定義され、それを受け入れてしまったからです。
自分が望むものをリストアップし、それを手に入れたら幸せなのだ、思いどおりになれば幸せなのだと洗脳されてきたからです。
あらためて考えてみます。
幸せはどこにありますか。
幸せという名の現象をここに運んできてくださいと問えば、誰も持ってくることはできません。
ダイヤモンドは、持ってくることができます。
ガラスのコップも持ってこられます。
では幸せはと尋ねて、百人が百人、これがそうですと言えるものはありません。
結婚式で、幸せになれてよかったねというような祝辞が述べられますが、結婚は幸せへのゴールインではありません。
単なるスタートです。
二人が一緒になるというのは、百人いれば百違う人格同士が一緒になることです。
二人が折り合って生きていくことです。
自分を押し通すわけにいかなくなるので、これから面倒なことが始まります。
ソクラテスの妻クサンチッペは悪妻の代名詞のようにいわれています。
しかし、ソクラテスの側にも問題があった。
毎日、街角で弟子たちと一銭にもならない対話に明け暮れていた。
妻は自分の仕事を持っていて朝早く家を出て、仕事して、夕刻帰宅して食事の用意をして・・・ソクラテスの面倒を見て、家を支えた。
妻が疲れて寝入っている午前二時か三時頃、ソクラテスは帰ってきて、ドンドンとドアを叩く。
クサンチッペは上の窓からバシャと水をぶっかけることもあった。
弟子たちは、あんなひどい奥さんと離縁してもっとやさしい女性をもらったらとすすめた。
ソクラテスは答えた。
「良妻をめとった者は世界一の幸せ者になれる。悪妻をめとった者は世界一の哲学者になれる」。
ソクラテスはあれこれが気に入らないと思うタイプの人ではなかった。
世界一の哲学者になった。
幸せという現象がどこかに存在するわけではありません。
自分は幸せだと認識するかどうかです。
ああ今、幸せだ・・・と自分が認識するだけです。
『淡々と生きる』風雲舎
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仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がある。
世の中はすべてが「苦」である、という意味だ。
世の中は「苦」で満ちているということではない。
仏教では思い通りにならないことを「苦」というからだ。
「生老病死(しょうろうびょうし)」を「四苦(しく)」という。
「生」(生きること)には、人間関係やお金のこと、親しい人との別れなど、様々な思い通りにならないことがある。
「老」という老いることも、思い通りにならない。
人は必ず老いるからだ。
「病」という病気になること、そして、死ぬこと、も思い通りにはならない。
お釈迦様は「苦」の本質は「執着」であると説いた。
執着とは「こだわり」や「とらわれ」。
その執着をなくす方法は、「ああ、そうなりましたか」、「なるほど、そうきたんですね」と淡々と受け容れること。
「受け容れる」ということは、「気にならなくなる」ということでもある。
相手を変えようとするのではなく、自分の許容度や許容量を上げること。
「そういう人もいるよね」と気にならない人になること。
「苦」とは、自分の思いどおりにならないこと、という言葉を胸に刻みたい。
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