人の心に灯をともす 5914 年を取ったから偉いのではない

【年を取ったから偉いのではない】5914



藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


松原泰道(たいどう)老師がよく口にされる『法句教(ほっくきょう)』の言葉がある。


「頭(こうべ)白しとて  このことによりてのみ  彼は長老(おさ)たらず 彼の齢(よわい) よし熟したりとも これ空しく 老いたる人とのみ よばれん」


高齢者になったから尊いのではない。 高齢者になってもなお道を求めてやまないところに年を取る意味はあるのだ、と師は言われる。



『法句経』はこうも言う。


「されど心ある人の法は  老ゆることなし」


身は老いても法を学んでいる限り、心が老いることは ない、というのである。



泰道師はまさに、この言葉通り の人生を歩まれている。

今年のお正月にお会いした時、百一歳を刻む泰道師は


「私はいま人の助けを借りなければ、一人で寝起きもできません。

いまの私は読むこと、書くこと、話すことしかできませんが、生きている人の心に明かりを灯す法を説きたい。

そのために生きている間は勉強を続けたい。

学び続けたい」



前漢末の思想家揚雄(ようゆう)はこう言った。


「年弥々(としいよいよ)高くして徳弥々たかし」


年を取れば肉体は衰えてくるが、心に修養を積んでいよいよ徳を高くしていこう、という教えである。

そういう「いま」を生きたいものである。


『人生の大則』致知出版社
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年齢を重ね、老境にさしかかったら、多くは「ゆっくりする」「のんびりする」「余生を楽しむ」という。

しかし、晩年を鮮やかに生きた先達たちは、若い頃以上に学び、自己修養につとめる。


森信三師はそれをこういう。

「人生の晩年にこそ真価が問われる」。

そして、

「われわれは、人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに心を引きしめて、人生の晩年の修養に努めねばならぬであろう。」

「特に、人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。

退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、晩年の人生と取り組まねばならぬ。」


若い頃に学ぶことが必要なのはもちろんだが、晩年こそ、覚悟を持って学び続けることが必要なのだ。

それも、すさまじいほどの気迫を持って。


「年長者に敬意をはらえ」とよくいう。

しかし、年を取ったから偉いのではない、学び続けるからこそ尊敬されるのだ。




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