人の心に灯をともす 5971 真の勇気とは

【真の勇気とは】5971



北尾吉孝氏の心に響く言葉より…


勇気ということに関して、フランスの小説家・スタンダールは、「イタリア人の勇気は怒りの発作であり、ドイツ人の勇気は一瞬の陶酔であり、スペイン人の勇気は自尊心の現れである」と言っています。

ナショナルステレオタイプを瞬時に掴んで表現するという、流石にスタンダールらしい天才的才能がよくあふれた言葉だと思います。


では「日本人の勇気とは?」と聞かれますと、これは大変難しいテーマで単純に定義できるものではないと思いますが、私は武士道あるいはさらに遡って儒学といったところにその源泉があるのではないかと考えます。

日本人は元々日本にあった神道に外来の思想・宗教(儒教や仏教等)が入ってくると、それらを受容しより高次元に発展させ、そしてその最終型として武士道というものに繋げていきました。

まさに「和」の魂でありますが、日本人が「如何なるものを勇気として捉えてきたか」「如何なる人を勇気を持つ人間として称賛してきたか」ということでは日本人の場合、勇気とは「義」と非常に結び付いているような気がします。


『論語』の中に「義を見て為ざるは、勇なきなり・・・義を見て当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは臆病者である」という孔子の言葉がありますが、日本人の祖先が儒学の中から学び取り、武士道の中でそれを世界に比類なき一つの行動哲学として開花させたように思うのです。

私自身、中国古典とりわけ『論語』から学んできたのは、筋を通して義を貫くという生き方であって、如何なる事態に直面しようともそうした姿勢を決して崩さず、勇気を持って貫き通してきたつもりです。

『孟子』の中に「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾往(われゆ)かん」という有名な孔子の言葉がありますが、多くの反対があろうとも世の毀誉褒貶を顧みず自分が正しいと信じた道を恐れなく突き進んで行く、という精神こそが日本人の勇気というものではないでしょうか。



『人間学のすすめ』致知出版社
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孔子が、弟子の子路に対して言った言葉がある。

『暴虎馮河(ぼうこひょうが)し、死して悔ゆるなき者は、吾れ与(とも)にせざるなり。』

虎に素手で立ち向かったり、河を歩いて渡ろうとしたりして、死んでもかまわないというような男とは、私は一緒にやらないよ、と。


子路は元々無頼の徒であり、剣も使え、腕力もある男だった。

後先を考えないような無謀な勇気は賞賛されない。

それを「匹夫(ひっぷ)の勇」という。

思慮分別がなく、ただ血気にはやっただけの勇気のことだ。


本当の勇気とは、泣きながらでも、震えながらでも、「これは正しい」と信じたことに向かって足を踏み出す、その瞬間に宿る。

自分の心が「それが正しい」と叫ぶなら、怖くて、心臓が破れそうにバクバクしたとしても、一歩を踏み出すこと。


勇気とは強者だけのものではない。

むしろ弱者であっても、立ち上がるその姿に、人は感動する。


真の勇気を持つ人でありたい。




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