人の心に灯をともす 6017 イライラしない自分をつくる
【イライラしない自分をつくる】6017
小林正観さんの心に響く言葉より…
ある学者が、がんになった人に対して、その食生活を調べてみたそうです。
その結果、食生活よりも精神的な原因のほうが大きい、という結論になりました。
なぜ、臓器がきちんとした解毒作用をしなくなるかというと、人間がストレスを感じることにより臓器を痛めるのでしょう。
ストレスとは、自分の思いどおりにならない、ということ。
ところが、宇宙にはストレスという現象は存在していません。
「私」がストレスを感じた瞬間に、初めて宇宙にストレスが生まれるのです。
たとえば、ある人が目の前を通り過ぎていきました。
その人に対して「私」が何も感じなかったら、この人は単に通り過ぎるだけの人。
次の人が来たとき、その人に対して「私」がイライラを感じた瞬間に、この人は「私」をイライラさせる人になりました。
平均的な人間の寛容度、許容量を扇子にたとえて90度とすると、イライラしてストレスを感じる人は、心の広さが20度、30度、40度というように狭いのかもしれません。
そして、自分の価値観の外にいる人を自分の価値観の中に連れてこようとする。
しかし、その人たちをコントロールできないときにイライラを感じます。
そのとき、もうひとつの解決方法があります。そこにいる人を、「私」が認めてしまう。
すなわち、受け入れるということ。
「私」の心が広くなってしまったら何も問題がない。
今、心の広さが60度くらいの状態で、まだ許せない人や自分の価値観の外にいる人が現れたとします。
そういう人がいてくれたおかげで、「私」は寛容度・許容量を広げることができてうれしい、ありがたい、と思うと心が広がります。
さらに、自分の価値観の外にいる人を全部受け入れてしまったら、心の広さが180度になるでしょう。
このように、心の広さが180度になった人を「ボーっとした人」、あるいは「ボート部の人」と呼ぶことにします。
逆に30度、40度の狭い寛容度・許容量の中で生きている人は「ピリピリした人」。
「ピリピリした人」は、自分の価値観や自分の思い込んでいる正義感、使命感が非常に先鋭的なので自分の思い通りにしようとする。
「ボート部」の人は「オールあり」。
それに対して「ヨット部」の人は「オールなし」で、マストマストで生きています。
「こうでなければならない」「ああでなければならない」という、そのマストにこり固まっていて、自分も縛り他人に対しても厳しい。
いちいち過剰反応しないで、腹を立てたり、イライラしないという状況をつくると、「私」が一番得をする。
「私」がイライラしないのだから、「私」の臓器が痛みません。
相手を糾弾して自分の思い通りにするよりも、自分が広がって全部の人を受け入れられるようになると、「私」が一番楽になります。
『「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』主婦の友社
https://q.bmd.jp/91/119/6665/__no__
正義感や使命感はとても尊いものだ。
しかし、それが行き過ぎると、相手は息苦しくなる。
なぜなら、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」と「正義感」をたてに言われ続けると、相手は逃げる余地もなくなり、追いつめられる。
そしてそれは、往々にして「相手のため」「みんなのため」と思っての行動だ。
だが、善意であればあるほど、それは断りにくく、逆に圧力となってしまう。
そして、結果として、人間関係がギスギスし、人が離れていく。
だからこそ、必要なのが、寛容度や許容量の広さ。
相手の価値観もまた正解だ、と受け止める度量が必要になる。
そして、大事なのがほどよい距離感。
べったりとではなく、淡々と付き合うことだ。
自分の正義を語るより、たとえ自分とは価値観が違ったとしても、相手の気持ちを理解し、「なるほど、そういう気持ちだったんだね」と肯定し、受け入れること。
寛容度や許容量を広げ・・・
イライラしない自分をつくりあげたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
ある学者が、がんになった人に対して、その食生活を調べてみたそうです。
その結果、食生活よりも精神的な原因のほうが大きい、という結論になりました。
なぜ、臓器がきちんとした解毒作用をしなくなるかというと、人間がストレスを感じることにより臓器を痛めるのでしょう。
ストレスとは、自分の思いどおりにならない、ということ。
ところが、宇宙にはストレスという現象は存在していません。
「私」がストレスを感じた瞬間に、初めて宇宙にストレスが生まれるのです。
たとえば、ある人が目の前を通り過ぎていきました。
その人に対して「私」が何も感じなかったら、この人は単に通り過ぎるだけの人。
次の人が来たとき、その人に対して「私」がイライラを感じた瞬間に、この人は「私」をイライラさせる人になりました。
平均的な人間の寛容度、許容量を扇子にたとえて90度とすると、イライラしてストレスを感じる人は、心の広さが20度、30度、40度というように狭いのかもしれません。
そして、自分の価値観の外にいる人を自分の価値観の中に連れてこようとする。
しかし、その人たちをコントロールできないときにイライラを感じます。
そのとき、もうひとつの解決方法があります。そこにいる人を、「私」が認めてしまう。
すなわち、受け入れるということ。
「私」の心が広くなってしまったら何も問題がない。
今、心の広さが60度くらいの状態で、まだ許せない人や自分の価値観の外にいる人が現れたとします。
そういう人がいてくれたおかげで、「私」は寛容度・許容量を広げることができてうれしい、ありがたい、と思うと心が広がります。
さらに、自分の価値観の外にいる人を全部受け入れてしまったら、心の広さが180度になるでしょう。
このように、心の広さが180度になった人を「ボーっとした人」、あるいは「ボート部の人」と呼ぶことにします。
逆に30度、40度の狭い寛容度・許容量の中で生きている人は「ピリピリした人」。
「ピリピリした人」は、自分の価値観や自分の思い込んでいる正義感、使命感が非常に先鋭的なので自分の思い通りにしようとする。
「ボート部」の人は「オールあり」。
それに対して「ヨット部」の人は「オールなし」で、マストマストで生きています。
「こうでなければならない」「ああでなければならない」という、そのマストにこり固まっていて、自分も縛り他人に対しても厳しい。
いちいち過剰反応しないで、腹を立てたり、イライラしないという状況をつくると、「私」が一番得をする。
「私」がイライラしないのだから、「私」の臓器が痛みません。
相手を糾弾して自分の思い通りにするよりも、自分が広がって全部の人を受け入れられるようになると、「私」が一番楽になります。
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正義感や使命感はとても尊いものだ。
しかし、それが行き過ぎると、相手は息苦しくなる。
なぜなら、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」と「正義感」をたてに言われ続けると、相手は逃げる余地もなくなり、追いつめられる。
そしてそれは、往々にして「相手のため」「みんなのため」と思っての行動だ。
だが、善意であればあるほど、それは断りにくく、逆に圧力となってしまう。
そして、結果として、人間関係がギスギスし、人が離れていく。
だからこそ、必要なのが、寛容度や許容量の広さ。
相手の価値観もまた正解だ、と受け止める度量が必要になる。
そして、大事なのがほどよい距離感。
べったりとではなく、淡々と付き合うことだ。
自分の正義を語るより、たとえ自分とは価値観が違ったとしても、相手の気持ちを理解し、「なるほど、そういう気持ちだったんだね」と肯定し、受け入れること。
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