人の心に灯をともす 5342 しゃべりすぎはカッコわるい

【しゃべりすぎはカッコわるい】5342



曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より…



《言葉の多き》(しゃべりすぎてはいけません)


現代社会を特徴づけているのが「言葉の軽さ」ではないかと思います。

そのこととコインの裏表になっているのが、言葉の多さ、しゃべりすぎです。

軽い言葉が縦横無尽に、有り体にいってしまえば、野放図に交わされている。


良寛さんには嘆かわしい時代風景でしょう。

この戒めはいかにも禅僧らしいものといえます。


禅には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉があります。

ほんとうに大切な真理や教え は言葉や文字では伝えることはできない、というのがその意味。

語る者は沈黙に思いを込め、聞く者は沈黙に思いを汲みとる。

それが究極の禅の世界のコミュニケーションといっていいかもしれません。


もちろん、それは至高の域ですが、日常の会話でもしゃべりすぎると、かえっていいたいことが伝わらない面があるのではないでしょうか。

しゃべりすぎるのは、思いついた言葉をそのまま口にするからです。

言葉が吟味されていないぶん、多くなるのです。


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枡野俊明氏は「沈黙」についてこう語っている。


『日本には「間」というすぐれた話し方の技法があります。

いうまでもなく、言葉が語られない沈黙の時間ですが、それがきわめて重要なのです。

間が相手の想像力を掻き立て、その想像力によって、相手は言葉にはならないこちらの思いや心情まで汲みとることができるのです。

沈黙については、禅にこんな言葉があります。

「維摩(ゆいま)の一黙(いちもく)、雷の如し」

維摩は在家ながらとても秀でた仏弟子だった人ですが、その維摩が一瞬沈黙したときには、雷鳴が轟(とどろ)くようなインパクトがあった、ということです。』



多くの人は、他人がまだしゃべっているのに、それを遮(さえぎ)って、自分の話をしてしまう。

人の話を、最後まで聞いていることができない。

自分の話を聞いてもらいたくて仕方がないからだ。


一日一戒…

「言葉の多き」

しゃべりすぎはカッコわるい






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