人の心に灯をともす 5748 徳のある人間に

【徳のある人間に】5748



齋藤孝氏の心に響く言葉より…


よく人生の深みをワインにたとえたり、ウィスキーの熟成ものにたとえたりしますが、50歳とは、大人になった20歳のころから30年近い醸成期間を経たということです。

その深みが出る年齢になった。

つまり、しっかりとしたエイジングができたということなのです。


人生の経験値によって、物事の本質が見通せる、長年かけて積み上げてきた知恵を「叡知」といいます。

しかし、歳をとればみんなが等しく叡知を獲得できるわけではありません。

人によって差があります。豊かで味わい深いことにどこまで気づけるようになるか、自分の経験したことを身に刻んで、たしかに醸成させる生き方ができているか。

叡知のありようが、人生の後半の充実度を決めると私は思います。

叡知を身につけるには、つねにいろいろなものを吸収しよう、学びつづけようという向上心を持ちつづけていることも大事ですが、人格的なしなやかさ、柔軟性のようなものも必要だと思います。


人生後半で何を目指せばよいのか。

本書で繰り返し考えてきたこの問いに、私は「心の成熟を目指す」と答えたいと思います。

一生をかけて、心の成熟を図り、人間性を練り上げていく。

少なくとも、私自身はそういう生き方をしたいと考えます。


孔子の教えで言うならば、これは「徳のある人間になることを目指す」「君子を目指す」ということになります。

孔子は、徳とは一生磨きつづけるものとしています。

「ここまで来たら、もういいだろう」というゴールがないのです。


つまり、何をしていても、どういう状態でも、生きている限りつねに自分を磨きつづける心のエネルギーを持っているということです。

それを怠ってしまうと、「今汝(いまなんじ)は画(かぎ)れり」、つまり、自分の限界を決めつけて、自分に見切りをつけてしまっている、ということになります。

『人生後半の幸福論』光文社新書
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「今汝(いまなんじ)は画(かぎ)れり」について、こういう話がある。


『「先生の説かれる道を喜ばないわけではありませんが、私には力が足りなくて行うことができません」

弟子の 冉求(ぜんきゅう)がこう言うと、孔子は答えた。

「力足らざる者は中道にして廃(はい)す。今汝(なんじ)は画(かぎ)れり」

(本当に力が足りない者なら、途中で力尽きてしまうだろう。 お前は自分で自分の力を見限っているだけだ)

自分で自分を限界づけ、変化成長することにすくんでいる弟子を、孔子は厳しく叱っている。』(小さな人生論・4 /致知出版社)より



『芳醇なワインや日本酒ができあがるまでには、たっぷりとした時間が必要である。

いわゆる「寝かせる」という時間が。

人もまた同様ではないか。

「早く、早く」と急いでばかりいては、ゆったりとした豊かな人間は育たない。』 ( 斎藤茂太 )



森信三先生は、こう語っている。

「人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに、心を引き締めて、人生の晩年の修養に努めねばならない」

そして、「一日読まざれば一日衰える」と。

人は一日学ばなければ、一日衰え、老いる。


年を重ねるごとに学び続けること。

そして・・・

徳のある人間になることを目指したい。





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