人の心に灯をともす 5715 みだりに生きない
【みだりに生きない】5715
中村天風師の心に響く言葉より…
生きている以上はみだりに死ぬことは許されない。
と同時に、みだりに生きることも許されない。
ところが、おおむね多くの人々はみだりに生きているから、人生の三大不幸という病や煩悶(はんもん)や貧乏というものに侵(おか)されがちだ。
だから、病、 煩悶、貧乏というのは、この論理から結論すると、自ら招いたことになりますね。
現在、病をもったり、煩悶をもったり、貧乏な人は、ここいらで反省しなきゃ駄目だよ。
「ああ、そうか、私は貧乏神と縁が切れない人間かと思ったら、そうじゃなかった。自分で招いたことなんだ」。
そうですよ。あなた方のほうでもってウインクを与えるから、貧乏神が来るんだ。
変なものにウインクを与えなさんなよ。
「玉磨かざれば光なし」の歌にもあるけど、石も磨けば玉になることがあることを忘れちゃ駄目だ。
「私なんか駄目だ」と捨てちゃ駄目だ。
百歩譲って、いくら磨いてても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。
ここいらが非常に味のあるところじゃないか。
『ほんとうの心の力』PHP研究所
https://q.bmd.jp/91/119/1561/__no__
斎藤一人さんの「100%の法則」という話がある。
『あなたに起こる出来事。
それはしあわせなこともあれば、不幸なこともあると思います。
それらすべての出来事に対して「これは100%、自分の責任なんだ」と思えたとき、自分の人生を100%コントロールすることができるようになるんです。
これを「100%の法則」といいます。
たとえば部長がいつもあなたにばかり怒るんだとしたら「部長が悪い」とみるのではなく、「私の中に部長を怒らせるなにかがあるんだ」とみる。
自分が何回も騙(だま)されるんだとしたら、「自分が騙されるのを見抜けない」とか、なにか騙されやすいところがあるはずです。』(大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。/サンマーク出版)より
たとえば、自分の身に起きた「病気」や「ケガ」など、「100%、自分の責任」だと思うなら、次に起きないよう自分で行動を改める。
しかし、病気もケガも、100%他人の責任と思うなら、自分は行動を改めない。
自分は悪くないのだから、なんの努力もする必要はない、と。
人は、あらゆる出来事、病気や、アクシデントや、嫌なことを経験し、それが磨き砂となって、自分を成長させることができる。
嫌なことが、自分を磨いてくれるのだ。
「みだりに」とは、これといった理由もなく、軽率に、自分勝手に、何も考えずに、というような意味で、「みだりに生きる」とは、何も考えず、自分勝手に、くだらない人生を送るということ。
つまり、「みだりに生きる」ことは、「100%、自分の責任」とは真逆の考え方。
また、坂村真民さんにこんな詩がある。
『鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ』
たとえ、愚鈍(ぐどん)と笑われようが…
いくつになっても、自分を磨き続ける人でありたい。
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中村天風師の心に響く言葉より…
生きている以上はみだりに死ぬことは許されない。
と同時に、みだりに生きることも許されない。
ところが、おおむね多くの人々はみだりに生きているから、人生の三大不幸という病や煩悶(はんもん)や貧乏というものに侵(おか)されがちだ。
だから、病、 煩悶、貧乏というのは、この論理から結論すると、自ら招いたことになりますね。
現在、病をもったり、煩悶をもったり、貧乏な人は、ここいらで反省しなきゃ駄目だよ。
「ああ、そうか、私は貧乏神と縁が切れない人間かと思ったら、そうじゃなかった。自分で招いたことなんだ」。
そうですよ。あなた方のほうでもってウインクを与えるから、貧乏神が来るんだ。
変なものにウインクを与えなさんなよ。
「玉磨かざれば光なし」の歌にもあるけど、石も磨けば玉になることがあることを忘れちゃ駄目だ。
「私なんか駄目だ」と捨てちゃ駄目だ。
百歩譲って、いくら磨いてても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。
ここいらが非常に味のあるところじゃないか。
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斎藤一人さんの「100%の法則」という話がある。
『あなたに起こる出来事。
それはしあわせなこともあれば、不幸なこともあると思います。
それらすべての出来事に対して「これは100%、自分の責任なんだ」と思えたとき、自分の人生を100%コントロールすることができるようになるんです。
これを「100%の法則」といいます。
たとえば部長がいつもあなたにばかり怒るんだとしたら「部長が悪い」とみるのではなく、「私の中に部長を怒らせるなにかがあるんだ」とみる。
自分が何回も騙(だま)されるんだとしたら、「自分が騙されるのを見抜けない」とか、なにか騙されやすいところがあるはずです。』(大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。/サンマーク出版)より
たとえば、自分の身に起きた「病気」や「ケガ」など、「100%、自分の責任」だと思うなら、次に起きないよう自分で行動を改める。
しかし、病気もケガも、100%他人の責任と思うなら、自分は行動を改めない。
自分は悪くないのだから、なんの努力もする必要はない、と。
人は、あらゆる出来事、病気や、アクシデントや、嫌なことを経験し、それが磨き砂となって、自分を成長させることができる。
嫌なことが、自分を磨いてくれるのだ。
「みだりに」とは、これといった理由もなく、軽率に、自分勝手に、何も考えずに、というような意味で、「みだりに生きる」とは、何も考えず、自分勝手に、くだらない人生を送るということ。
つまり、「みだりに生きる」ことは、「100%、自分の責任」とは真逆の考え方。
また、坂村真民さんにこんな詩がある。
『鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ』
たとえ、愚鈍(ぐどん)と笑われようが…
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