人の心に灯をともす 5727 健全なる精神とは「気力」のこと

【健全なる精神とは「気力」のこと】5727



石原慎太郎氏の心に響く言葉より…


《ある年齢にまでなると今までとは逆に、健全な精神が老いていく肉体を守ってくれるのだ。》



若い頃私たちはよく、健康な肉体にこそ健全な精神が宿るといわれたものです。

それは真理だと思う。

だから、それが真理であるが故にもその逆説もあり得るのです。


つまり、ある年齢にまでなると今までとは逆に、健全な精神が老いていく肉体を守ってくれるのだ。

これは人生の充実のためにもきわめて都合のいい、有り難い原理だと思う。

なぜならその原理に沿う限り、人間は老いても哀弱することなしにすむのだから。


健全な精神とは何もそれほど高尚なものでありはしない。

要するに気力の問題なのです。

端的にいって、年齢に関わらずいかにも年寄り年寄りしている人は話してみると気力を失った人間でしかない。


逆に気力の溢れた人はその年に関わらずいかにも気力に満ちた人間なのがわかる。

そして往々、その気力を育み培うために健康な肉体が必要というのが人間にとっての公理に他ならない。

そこにこそ、若い頃から肉体を鍛えることに腐心してきた人生的な意味が初めてあるということです。


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安岡正篤師は「気力」についてこう語る。


『気力が旺盛であるということが個人的にも民族的にも大事なことで、気力を弱くしてしまったら、教養が多少あろうが、頭脳・知性が優れていようが、技能が発達していようが問題でない。

気力というものが一番大事で根本的なものである。

日本民族もこの気力を失わなければ、気力が旺盛になれば、いろいろの欠陥は少しも苦にする必要はない。

反対にどんな長所があっても、例えば知性だ、技能だ、その他教養があるといっても、気力が旺盛でなければ個人も国家も発展しない。』 (安岡正篤 活学一日一言/致知出版社)より



気力とは、理屈ではない。

負け続けようが、やられっぱなしになろうが、どんなに否定され、何度も倒れようと、最後に、「負けるもんか」と起き上がる。

そして、結果がどうあろうが、前に向かってすすむ。

やってみなければわからない、と気力を奮い立たせる。


『健全なる精神とは「気力」のこと』という言葉を胸に刻みたい。




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