人の心に灯をともす 5773 この世に雑用はありません
【この世に雑用はありません】5773
渡辺和子氏の心に響く言葉より…
私は折りあるごとに、皆さんに「この世の中に、雑用はありません。あなた方が、用を雑にした時に、雑用が生まれるのですよ」ということを言ってまいりました。
一生の終わりに、 もし私たちが、「私の人生はつまらなかった」というとしたら、人生は、私たちに向かって、「あなたこそは、あなたの人生を意味あるものにも、つまらないものにもすることのできる唯一の人でした」と答えることでしょう。
聖書に「コリント前書」という箇所があって、その十三章にこう書かれています。
『たといわたしが、人々の言葉や天使の言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしはやかましい鐘や騒がしいドラと同じである。
たといまた、わたしが予言する力を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰を持っていても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。』
つまり、行為に先立つ愛の重要さというものが説かれていて、どれほど知識があっても、どんな大事業を成し得たとしても、その知識が、愛に変わらない知識であれば無駄だということ、 どんな大事業も、それが愛に促されてされるのでなければなんにもならない、ということが、ここに記されています。
それは、反対から言えば、愛があれば、それが、たとえ小さな愛であったとしても、その行為には価値があるということを言っているわけです。
たとえ寝たきりの病人になったとしても、または台所の隅で一日中じゃがいもの皮をむくような、そういう時間を過ごしているとしても、
それが、誰かのために、世界中で苦しんでいる人、悩んでいる人、または飢えている人々のため、戦火にさらされている人々、そういう人たちを考えながら、その人たちに慰めが与えられるように、平和な生活が訪れるようにという愛をこめて行われた時に、
その小さな行為、その過ごされる時間というものには、永遠の価値が与えられ、神の御まなざしの前に、財産家が多くの寄付をするよりも、政治家が大きな事業をするよりも、尊くうつるのだという価値観が、ここにございます。
『あなただけの人生をどう生きるか』ちくまプリマ―新書
https://q.bmd.jp/91/119/2371/__no__
渡辺和子氏のこんなエピソードがある。
『渡辺和子さんがアメリカの修道会にいたときのことです。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
人の幸せを祈ることは、世界の飢えている人や、苦しんでいる人、戦禍にさらされている人たち、といった大きなことだけをさすのではない。
小林正観さんはそれを、
「この食事をいただいた人が元気になってくれるように」
「この服を着る人が幸せになってくれるように」
「この廊下を歩く人が笑顔で過ごせるように」
「この仕事で関わる人が、みんな幸せになってくれるように」と念をこめたら、それは単なる雑用ではなく、また単なる仕事でもありません。
と言っている。
すべての仕事や雑用は、まわりの人たちの元気や幸せを祈るための大事なきっかけであり、神様から与えられたチャンス。
「この世に雑用はありません」という言葉を胸に刻みたい。
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渡辺和子氏の心に響く言葉より…
私は折りあるごとに、皆さんに「この世の中に、雑用はありません。あなた方が、用を雑にした時に、雑用が生まれるのですよ」ということを言ってまいりました。
一生の終わりに、 もし私たちが、「私の人生はつまらなかった」というとしたら、人生は、私たちに向かって、「あなたこそは、あなたの人生を意味あるものにも、つまらないものにもすることのできる唯一の人でした」と答えることでしょう。
聖書に「コリント前書」という箇所があって、その十三章にこう書かれています。
『たといわたしが、人々の言葉や天使の言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしはやかましい鐘や騒がしいドラと同じである。
たといまた、わたしが予言する力を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰を持っていても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。』
つまり、行為に先立つ愛の重要さというものが説かれていて、どれほど知識があっても、どんな大事業を成し得たとしても、その知識が、愛に変わらない知識であれば無駄だということ、 どんな大事業も、それが愛に促されてされるのでなければなんにもならない、ということが、ここに記されています。
それは、反対から言えば、愛があれば、それが、たとえ小さな愛であったとしても、その行為には価値があるということを言っているわけです。
たとえ寝たきりの病人になったとしても、または台所の隅で一日中じゃがいもの皮をむくような、そういう時間を過ごしているとしても、
それが、誰かのために、世界中で苦しんでいる人、悩んでいる人、または飢えている人々のため、戦火にさらされている人々、そういう人たちを考えながら、その人たちに慰めが与えられるように、平和な生活が訪れるようにという愛をこめて行われた時に、
その小さな行為、その過ごされる時間というものには、永遠の価値が与えられ、神の御まなざしの前に、財産家が多くの寄付をするよりも、政治家が大きな事業をするよりも、尊くうつるのだという価値観が、ここにございます。
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渡辺和子氏のこんなエピソードがある。
『渡辺和子さんがアメリカの修道会にいたときのことです。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
人の幸せを祈ることは、世界の飢えている人や、苦しんでいる人、戦禍にさらされている人たち、といった大きなことだけをさすのではない。
小林正観さんはそれを、
「この食事をいただいた人が元気になってくれるように」
「この服を着る人が幸せになってくれるように」
「この廊下を歩く人が笑顔で過ごせるように」
「この仕事で関わる人が、みんな幸せになってくれるように」と念をこめたら、それは単なる雑用ではなく、また単なる仕事でもありません。
と言っている。
すべての仕事や雑用は、まわりの人たちの元気や幸せを祈るための大事なきっかけであり、神様から与えられたチャンス。
「この世に雑用はありません」という言葉を胸に刻みたい。
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