人の心に灯をともす 5795 千の言葉より、一つの実践

【千の言葉より、一つの実践】5795



小林正観さんの心に響く言葉より…


ある人が、私の前に「こんなものがあります」と言って、たくさんのものを見せてくれました。

絵、カード、ペンダント、水晶、陶器など、20種類くらいあったでしょうか、それをその人は鞄につめて、いつも持ち歩いているとのことでした。

また、その人の話を聞いていると、「あの人も知っている」「このセミナーも受けたことがある」「あの人の講演も 聞いたことがある」というようなことで、この世界で有名な人の名前は、ほとんどその人の口から出てきました。


その人は、私たちの集まりに参加していたのですが、ある人の発言が気に入らないということで、帰り際に私にこう言いました。

「あの人が参加する以上は、私はもう来ない」と。

こういう言い方というのは、意外と気楽に多くの人がしてしまうのですが、「自分を参加させたければ、あいつを参加させるな」と言っているわけです。


人格上の勉強や研鑽を積んできた人の発言としては、あまり歓迎できるものではありません。

多くの勉強をしても、その勉強が、自分の日常の言動につながっていなければ、それは意味のないことだと思います。

多くの人から多くのことを聞き、学んできた結果として、「常に、人を憎まず、恨まず、呪わずに、誰に対しても同じ態度で接することができる」ということが、日常の「実践」というものであったはず。

それが、「気に入らない」と思った結果(思うこと自体は否定しませんが)、「あいつが来る限りは、自分は絶対に来ないぞ。だから、もし自分を参加させたいと思うなら、あいつを来させるな」と言葉にするのは、かなり傲慢な考え方になってきます。


多くの人が陥りがちなことですが、たくさんの本を読み、たくさんのセミナーや講演会に参加して、それで、自分がかなり成長し、向上したように思ってしまう、ということは 少なくありません。

しかし、そのようなことに参加し、たくさんの話を聞いたからといって、自分が成長しているということにはならないのです。

そのようないい話を聞いたとき、 自分の日常生活の中に取り入れ、「実践」をすること。

それが「向上する」ということです。


どんなにいい話を聞いて知っていても、それを行動に移さなければ(実践しなければ)何も知らないのと一緒だ、というのが私の考え方です。

「自分探し」をし、多くの会に参加したり、人の話を聞いて勉強をすることは、悪いことではありません。


しかし、決してそこで安心しないこと。

安心しきって、安住してしまわないこと。

それがとても大切なことです。

私たちが、なんのためにそのような勉強をするのか、というのは、結局は「実践」という一言に集約されるのではないでしょうか。


『こころの遊歩道』イースト・プレス
https://q.bmd.jp/91/119/2755/__no__





自分の人格を高めるために勉強しているにも関わらず、実践が伴っていないことは多い。

多くの本を読み、たくさんの講演会やセミナーに参加しているのに、言動や態度にそれが生かされていないということだ。


「笑顔が大事」と言っているのに、いつも不機嫌で仏頂面な人。

「人生を楽しもう」と言っているのに、楽しいことがないから楽しめないと言っている人。

「感謝が大事」と言っているのに、いまさら気恥ずかしくて「ありがとう」なんて言えないという人。


「千の言葉より、一つの実践」

常に学び、実践する人でありたい。





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