人の心に灯をともす 5796 それも一つの人生だ
【それも一つの人生だ】5796
精神科医、野村総一郎氏の心に響く言葉より…
《有(ゆう)の以(もっ)て利を為(な)すは、無を以て用を為せばなり。》(老子)
(有用で、利益が出るようなものは、役に立たないところがあってこそ、 成り立つ。「無」、すなわち「何にもない」ということでじつは役に立っていることがある。)
じつに老子らしい逆転の発想なのですが、これも一つの真理だと私は思います。
「無」の部分が役に立つ。
そう言われてもすぐにイメージしにくいかもしれませんが、たとえば、陶芸の茶碗を思い出してください。
優れた陶芸は、その形状や佇まい、色や輝き、手触りなどがすばらしいものです。
でも、それらの芸術的な部分が、本来的に役に立っているかと言えば、決してそうではありません。
ほんとうに役に立つのは、茶碗の内側の何もない空間。
つまり「無」の部分です。
その空間にお茶やごはんを入れてこそ、茶碗は本来の役割を果たすのです。
つまり「何が役に立つのか」というのは、そのくらい視点や考え方によって評価が変わってくるものだということです。
会社や組織において「何の役に立っていなくてもいいのです」 「あなたはそのままでいいのですよ」と言ってしまうと、まるでサボっている人、やる気のない人を肯定してしまうようですが、「わかりやすい役立ち方」だけがすべてではない、ということは少なくとも言えると思います。
業績を叩き出す人はたしかにすばらしい。 でも、会社には事務的な仕事を回す人がいて、お給料の計算をする人がいて、かかってきた電話に出る人がいて、そういったさまざまな人の仕事があって、はじめてその人は売上を出せるわけです。
また、そういった人に対して「すごいですね」「おつかれさまです」と労う人だって組織やチームには必要です。
「いつでも、明るくいよう」「相手の話を楽しんであげよう」。
そんな貢献だって決してバカにはできません。
もっと言うなら、その人の使うオフィスを掃除してくれる人、食べるものを作っている人、会社のビルを作った職人さんだって、ずっと「役に立って」います。
わかりやすく目立っている人だけが役に立っているということではないのです。
たしかに仕事によっては、誰かの喜ぶ顔が直接見られないものもあるでしょう。
「自分はほんとうに役立っているのかな」と満たされないこともあるでしょう。
でも、想像してみてください。あなたが存在している世界は、あなたが存在していない世界とはまったく違うものだということを。
「役に立つ」「役に立たない」というのは、自分が考えるほど画一的で、絶対的なものではないのです。
■「役に立つ」 「役に立たない」なんてそう簡単には決められない。一見すると「役に立っていない人」が、見方を変えればいちばん役に立っている。
『人生に、上下も勝ち負けもありません』文響社
https://q.bmd.jp/91/119/2773/__no__
「上り坂の儒家(じゅか)、下り坂の老荘」という言葉がある。
人生が諸々、うまくいっているときや、元気があるときは論語がいい。
しかし、うまくいっていないときや、元気がないときは老子や荘子がいい。
老荘思想は、今から2400年ほど前の、中国の春秋戦国時代に生まれたもの。
「まあ、それでいいじゃないか」「それも一つの人生だ」というあるがままを認めてくれる考え方だ。
時代が変われば価値観も変わる。
今、役に立っていることが、何年か後にはまったく役に立たなくなることもある。
携帯などの電子機器も、仕事の仕方や働き方などの考え方も、あるいは政治の考え方も、みな時代とともに変わる。
今、脚光を浴びている人も、まったく目立たない人も、いつか、時が経れば変わる。
目立つ、目立たない
有名、無名・・・
一体、それがどうしたというのだ。
「まあ、それでいいじゃないか」「それも一つの人生だ」という言葉を胸に刻みたい。
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精神科医、野村総一郎氏の心に響く言葉より…
《有(ゆう)の以(もっ)て利を為(な)すは、無を以て用を為せばなり。》(老子)
(有用で、利益が出るようなものは、役に立たないところがあってこそ、 成り立つ。「無」、すなわち「何にもない」ということでじつは役に立っていることがある。)
じつに老子らしい逆転の発想なのですが、これも一つの真理だと私は思います。
「無」の部分が役に立つ。
そう言われてもすぐにイメージしにくいかもしれませんが、たとえば、陶芸の茶碗を思い出してください。
優れた陶芸は、その形状や佇まい、色や輝き、手触りなどがすばらしいものです。
でも、それらの芸術的な部分が、本来的に役に立っているかと言えば、決してそうではありません。
ほんとうに役に立つのは、茶碗の内側の何もない空間。
つまり「無」の部分です。
その空間にお茶やごはんを入れてこそ、茶碗は本来の役割を果たすのです。
つまり「何が役に立つのか」というのは、そのくらい視点や考え方によって評価が変わってくるものだということです。
会社や組織において「何の役に立っていなくてもいいのです」 「あなたはそのままでいいのですよ」と言ってしまうと、まるでサボっている人、やる気のない人を肯定してしまうようですが、「わかりやすい役立ち方」だけがすべてではない、ということは少なくとも言えると思います。
業績を叩き出す人はたしかにすばらしい。 でも、会社には事務的な仕事を回す人がいて、お給料の計算をする人がいて、かかってきた電話に出る人がいて、そういったさまざまな人の仕事があって、はじめてその人は売上を出せるわけです。
また、そういった人に対して「すごいですね」「おつかれさまです」と労う人だって組織やチームには必要です。
「いつでも、明るくいよう」「相手の話を楽しんであげよう」。
そんな貢献だって決してバカにはできません。
もっと言うなら、その人の使うオフィスを掃除してくれる人、食べるものを作っている人、会社のビルを作った職人さんだって、ずっと「役に立って」います。
わかりやすく目立っている人だけが役に立っているということではないのです。
たしかに仕事によっては、誰かの喜ぶ顔が直接見られないものもあるでしょう。
「自分はほんとうに役立っているのかな」と満たされないこともあるでしょう。
でも、想像してみてください。あなたが存在している世界は、あなたが存在していない世界とはまったく違うものだということを。
「役に立つ」「役に立たない」というのは、自分が考えるほど画一的で、絶対的なものではないのです。
■「役に立つ」 「役に立たない」なんてそう簡単には決められない。一見すると「役に立っていない人」が、見方を変えればいちばん役に立っている。
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「上り坂の儒家(じゅか)、下り坂の老荘」という言葉がある。
人生が諸々、うまくいっているときや、元気があるときは論語がいい。
しかし、うまくいっていないときや、元気がないときは老子や荘子がいい。
老荘思想は、今から2400年ほど前の、中国の春秋戦国時代に生まれたもの。
「まあ、それでいいじゃないか」「それも一つの人生だ」というあるがままを認めてくれる考え方だ。
時代が変われば価値観も変わる。
今、役に立っていることが、何年か後にはまったく役に立たなくなることもある。
携帯などの電子機器も、仕事の仕方や働き方などの考え方も、あるいは政治の考え方も、みな時代とともに変わる。
今、脚光を浴びている人も、まったく目立たない人も、いつか、時が経れば変わる。
目立つ、目立たない
有名、無名・・・
一体、それがどうしたというのだ。
「まあ、それでいいじゃないか」「それも一つの人生だ」という言葉を胸に刻みたい。
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