人の心に灯をともす 5797 いとエモし。
【いとエモし。】5797
kotoさんの心に響く言葉より…
「国語の授業って、なんか意味あります!?」
と、思い続けていた10代の頃。
(いま思い返してみても、学校の授業全般、習う意味があったのかと言われるとかなり疑問なのだが......それは話が長くなるので割愛)
とにかく退屈だった。
特に、古典。
あれはもう呪文だ。
なんでわざわざ、「いま」に生きる私たちが、古~い失われつつある日本語を覚えなきゃならんのだ(きっと、そう思っていたのは私だけではないはずだ)。
でも、それから時がずいぶん経ったある日のこと。
ふとした瞬間に、『枕草子』の一節が飛び込んできた。
「まいて雁(かり)などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」
この「をかし」という単語が、突然私の心をつかんだのだ。
「をかし」とは、 それこそ国語の授業では「なんとなく趣のあること」と、「なんとなく」。
これはわかる。
だが、問題は趣(おもむき)だ。
「趣がある」。
趣おもむき・・・オモムキ?
「なんとなく」というふわっとした言葉と、「趣」という直感的に解釈できない単語が合わさったときの絶望的なまでの「つかみどころのなさ」に思考停止。
私は考えるのをやめた・・・そのまま時が過ぎていった。
しかし、学校を卒業し、不本意ながら社会というものと関わることとなり、時には「オトナ」 というコスプレをし、人間関係で困り果てたり、仕事や将来のことで思い悩んでみたり、多少のロマンスもあったりなかったりなど、ティーンエイジャーのときよりは、経験値や浅知恵のようなものがついてきた今日この頃。
私はその日、「をかし」をこう解釈した。
「ああ、『エモい』ってことか」
その瞬間、作者・清少納言の気持ちが、ちょっとだけわかった気がしたのだ。
秋の夕暮れを見て、 冬の朝の寒さに震えて、 春の朝焼けの景色を見て、 夏の夜に雨音を聴いて、 「あ、これエモいな」と感じたことが、私にもあったなと思った。
生まれ育った場所で、旅先で、あたらしい環境で、1人で、誰かと一緒に。
自分も、彼女たちと同じことをし、同じことを感じていたのだ。
いとをかしとは、「まじエモい。」だったのだ。
そんな経験をきっかけに、私はいろんな作品を集めて、読んでみた。
すると、たとえば「和歌」という限られた文字数の中で風景や気持ちを切り取ることがいかに神業(かみわざ)か、そして、そこにどれだけの想いがこもっているのかを知る。
平安時代や鎌倉時代に書かれたエッセイや物語が、真理のようなものをコンパクトに言い当てながら、不思議な魔力のようなものを帯びていることに気づく。
■花見れば袖(そで)ぬれぬ
月見れば袖ぬれぬ
なにの心ぞ
『閑吟集』305
花を見たら、泣けてきた。
月を見たら、また泣けた。
どこからか、 自然とあふれ出てくる気持ち。
これは、なに?
それはきっと・・・
まじエモい。
ってこと
◎室町時代の後期、当時愛された歌謡を集めた 『閑吟集』からの歌。
『袖』 とは、古来「魂の宿る場所」として使われてきた言葉。
荒ぶる戦国の世でも、平安の世でも、いまでも。感覚は時空を越える。
■里恋しい
『万葉集』3134
里離(さか)り
遠くあらなくに
草枕
旅とし思へば
なほ恋ひにけり
なんでかな。
まだ家からちょっと
離れただけなんだけど、
旅に出たんだなぁって思うと
恋しくなっちゃった。
いつでも戻れる距離なんだけどね。
◎奈良時代には存在していたという『万葉集』からの歌。
他の和歌集と違い、作者不明の歌が多数収録されていて、貴族や僧侶だけではなく庶民が詠んだであろう歌もたくさん紹介されている。
■桜なんて
『古今集』 53 在原業平(ありわらのなりひら)
世の中に
たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
桜なんて、
この世になければいい。
桜の花は
人の心を惑わせるからだ。
美しく咲いて、
春を知らせ、一瞬で散ってゆく。
私はその姿に、人生を、
人の世を、重ねてしまう。
揺れ動くのだ。
たから、桜がなければ。
この春の心は、
もっと穏やかでいられるのに。
■生きたかった
『後拾遺集』 669 藤原義孝(百人一首50番)
君がため
惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひぬるかな
命とは儚(はかな)いもの。
ゆえに、私はいつ死んでもいい。
そう本気で思っていた。
しかし、
今は君と1秒でも長く
ともに生きたいと、
そう願ってしまっているんだ。
◎うわさになるほどのイケメン。
かつ仏教徒として熱心であったという藤原義孝が、想い人の元へ通ったときに詠んだ歌。
しかし、義孝はこの あと病気になり、21歳で亡くなってしまった。
『いとエモし。』サンクチュアリ出版
https://q.bmd.jp/91/119/2821/__no__
「エモい」とは・・・
「感情が揺さぶられるような、または感動がこみ上げてくるような、何とも表現しがたい気持ち」の意味で用いられる若者言葉である。
「エモい」は、英語の形容詞 emotional(エモーショナル)を語源とする表現といえる。
基本的には「感動的」「胸を打つ」「心にしみる」「趣深い」「アツい」「琴線に触れる」「ぐっとくる」というような、複雑で抽象的な感動を表現する。
あるいは、単に「スゴい」「ヤバい」くらいの意味で用いられることもある。
全面的にポジティブ(肯定的)な表現である。
「エモい」の意味を端的に分かりやすくいえば、「うまく言葉にできないが心が動かされるようだ」ということである。
「趣がある」「しみじみする」「えも言われぬ」「もののあはれ」のような表現に近い。
古語の「あはれ」や「をかし」にも通じるものがある。
郷愁、哀愁、切なさ、甘美な物悲しさ、もの寂しさ、感傷、ノスタルジー、センチメンタル、アンニュイ、といった「どこか悲哀にも似た感情」を伴う感動こそが「エモい」と表現されやすい。 (Weblio辞書/ウェブリオ)より
清少納言と紫式部は平安中期で、およそ1000年前。
万葉集は1500年前。
1000年たっても、1500年たっても、変わらない日本人の繊細な感性。
花や、月や、自然や、四季折々・・・
「いとエモし。」
魂をゆさぶられる宝石のような、エモい言葉の数々を味わいたい。
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kotoさんの心に響く言葉より…
「国語の授業って、なんか意味あります!?」
と、思い続けていた10代の頃。
(いま思い返してみても、学校の授業全般、習う意味があったのかと言われるとかなり疑問なのだが......それは話が長くなるので割愛)
とにかく退屈だった。
特に、古典。
あれはもう呪文だ。
なんでわざわざ、「いま」に生きる私たちが、古~い失われつつある日本語を覚えなきゃならんのだ(きっと、そう思っていたのは私だけではないはずだ)。
でも、それから時がずいぶん経ったある日のこと。
ふとした瞬間に、『枕草子』の一節が飛び込んできた。
「まいて雁(かり)などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」
この「をかし」という単語が、突然私の心をつかんだのだ。
「をかし」とは、 それこそ国語の授業では「なんとなく趣のあること」と、「なんとなく」。
これはわかる。
だが、問題は趣(おもむき)だ。
「趣がある」。
趣おもむき・・・オモムキ?
「なんとなく」というふわっとした言葉と、「趣」という直感的に解釈できない単語が合わさったときの絶望的なまでの「つかみどころのなさ」に思考停止。
私は考えるのをやめた・・・そのまま時が過ぎていった。
しかし、学校を卒業し、不本意ながら社会というものと関わることとなり、時には「オトナ」 というコスプレをし、人間関係で困り果てたり、仕事や将来のことで思い悩んでみたり、多少のロマンスもあったりなかったりなど、ティーンエイジャーのときよりは、経験値や浅知恵のようなものがついてきた今日この頃。
私はその日、「をかし」をこう解釈した。
「ああ、『エモい』ってことか」
その瞬間、作者・清少納言の気持ちが、ちょっとだけわかった気がしたのだ。
秋の夕暮れを見て、 冬の朝の寒さに震えて、 春の朝焼けの景色を見て、 夏の夜に雨音を聴いて、 「あ、これエモいな」と感じたことが、私にもあったなと思った。
生まれ育った場所で、旅先で、あたらしい環境で、1人で、誰かと一緒に。
自分も、彼女たちと同じことをし、同じことを感じていたのだ。
いとをかしとは、「まじエモい。」だったのだ。
そんな経験をきっかけに、私はいろんな作品を集めて、読んでみた。
すると、たとえば「和歌」という限られた文字数の中で風景や気持ちを切り取ることがいかに神業(かみわざ)か、そして、そこにどれだけの想いがこもっているのかを知る。
平安時代や鎌倉時代に書かれたエッセイや物語が、真理のようなものをコンパクトに言い当てながら、不思議な魔力のようなものを帯びていることに気づく。
■花見れば袖(そで)ぬれぬ
月見れば袖ぬれぬ
なにの心ぞ
『閑吟集』305
花を見たら、泣けてきた。
月を見たら、また泣けた。
どこからか、 自然とあふれ出てくる気持ち。
これは、なに?
それはきっと・・・
まじエモい。
ってこと
◎室町時代の後期、当時愛された歌謡を集めた 『閑吟集』からの歌。
『袖』 とは、古来「魂の宿る場所」として使われてきた言葉。
荒ぶる戦国の世でも、平安の世でも、いまでも。感覚は時空を越える。
■里恋しい
『万葉集』3134
里離(さか)り
遠くあらなくに
草枕
旅とし思へば
なほ恋ひにけり
なんでかな。
まだ家からちょっと
離れただけなんだけど、
旅に出たんだなぁって思うと
恋しくなっちゃった。
いつでも戻れる距離なんだけどね。
◎奈良時代には存在していたという『万葉集』からの歌。
他の和歌集と違い、作者不明の歌が多数収録されていて、貴族や僧侶だけではなく庶民が詠んだであろう歌もたくさん紹介されている。
■桜なんて
『古今集』 53 在原業平(ありわらのなりひら)
世の中に
たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
桜なんて、
この世になければいい。
桜の花は
人の心を惑わせるからだ。
美しく咲いて、
春を知らせ、一瞬で散ってゆく。
私はその姿に、人生を、
人の世を、重ねてしまう。
揺れ動くのだ。
たから、桜がなければ。
この春の心は、
もっと穏やかでいられるのに。
■生きたかった
『後拾遺集』 669 藤原義孝(百人一首50番)
君がため
惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひぬるかな
命とは儚(はかな)いもの。
ゆえに、私はいつ死んでもいい。
そう本気で思っていた。
しかし、
今は君と1秒でも長く
ともに生きたいと、
そう願ってしまっているんだ。
◎うわさになるほどのイケメン。
かつ仏教徒として熱心であったという藤原義孝が、想い人の元へ通ったときに詠んだ歌。
しかし、義孝はこの あと病気になり、21歳で亡くなってしまった。
『いとエモし。』サンクチュアリ出版
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「エモい」とは・・・
「感情が揺さぶられるような、または感動がこみ上げてくるような、何とも表現しがたい気持ち」の意味で用いられる若者言葉である。
「エモい」は、英語の形容詞 emotional(エモーショナル)を語源とする表現といえる。
基本的には「感動的」「胸を打つ」「心にしみる」「趣深い」「アツい」「琴線に触れる」「ぐっとくる」というような、複雑で抽象的な感動を表現する。
あるいは、単に「スゴい」「ヤバい」くらいの意味で用いられることもある。
全面的にポジティブ(肯定的)な表現である。
「エモい」の意味を端的に分かりやすくいえば、「うまく言葉にできないが心が動かされるようだ」ということである。
「趣がある」「しみじみする」「えも言われぬ」「もののあはれ」のような表現に近い。
古語の「あはれ」や「をかし」にも通じるものがある。
郷愁、哀愁、切なさ、甘美な物悲しさ、もの寂しさ、感傷、ノスタルジー、センチメンタル、アンニュイ、といった「どこか悲哀にも似た感情」を伴う感動こそが「エモい」と表現されやすい。 (Weblio辞書/ウェブリオ)より
清少納言と紫式部は平安中期で、およそ1000年前。
万葉集は1500年前。
1000年たっても、1500年たっても、変わらない日本人の繊細な感性。
花や、月や、自然や、四季折々・・・
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