人の心に灯をともす 5868 生まれては、死ぬるなりけり

【生まれては、死ぬるなりけり】5868



浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…


《生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子(しゃくし)も》(一休宗純)


生死と人生の本質を述べている素晴らしい言葉です。

一休宗純禅師は「頓智(とんち)の一休さん」として親しまれていますが、実は毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物です。


理由の一つは、師である大徳寺の華叟宗曇禅師を口をきわめて批判したことです。

もう一つは、晩年に盲目の森女という美女を愛し、それを詩にしていることです。


しかし、それでも私は、一休禅師は非常にすぐれた僧だと思っています。

彼が詠んだ次の歌も、やはり人生の本質をストレートに示しています。

《何事も みないつわりの 世の中に 死ぬるというぞ まことなりける》


人は結局みな死ぬのだと思うと、敗北の屈辱も失敗の痛みも、そう苦しくなくなります。

私もたくさんの嫌な目にあいました。

とくに青春時代は、心を傷つけて平気でいる 先輩たちに対して、怒りや憎しみに震えたこともしばしばあったのです。


しかし、彼らも今はみな亡くなっています。

文句のつけようもありません。

死がすべてを清算してしまいました。


そんなこと、あんなことをすべて飲み込んでしまうのが死です。

傷つけた人も傷ついた人も、勝った人も負けた人も、この世から消えてゆきます。

死はすべてをきれいさっぱり始末する因縁の取り決めのように思えます。

因縁の法則によれば、この世で私たちがしたこと、されたことはだいたい清算され、貯金も「苦しみもなくこの世を終わる」ことで支払われるのでしょう。



『一瞬で不安をしずめる 名言の知恵』成美堂出版
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高田明和氏は「魂をゆさぶる 禅の名言/双葉社」の中でこんなことを記している。


『朝比奈宗源(あさひなそうげん)老師の知り合いの僧がある寺に住持していました。

彼は博打(ばくち)が好きで、村の人の集まりで博打をやって負けて帰ってくると、 「あいつもやがて死ぬやっちゃ」と独り言をいっていたということです。』


宗源老師が、博打好きな僧侶を「あいつも、しかたのないやつだ」としみじみと言った言葉。

「はらわたの煮えくり返ることを言われた人」も、「怒りに打ち震えるような仕打ちをされた人」も「あいつだけは許せない」、「あの人は嫌いだ」と思った人も、100年経てば、この世には誰もいない。

まさに、「あいつもやがて死ぬやっちゃ」。


「生まれては、死ぬるなりけり」という言葉を胸に刻みたい。




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