人の心に灯をともす 5768 苦労したことがない人

【苦労したことがない人】5768



ひろさちや氏の心に響く言葉より…


自殺の誘惑に抗しきれなくなった人が、最後に話し相手を求めてかける電話に、「いのちの電話」がある。

この「いのちの電話」の相談員は、別に人生指導やお説教をするわけではない。

電話をかけてきた人と一緒になって危機を乗り越える道を考える、友だちの電話なのである。


仙台で、この「いのちの電話」の相談員をしておられる人から、こんなことを教わった。

相談員を志願される人のうちには、わたし自身がこんな苦労をし、それをちゃんと克服したのだから、自分は立派な相談員になれると言ってこられる人がいる。

しかし、そのような人はおおむね相談員には不適格である。

というのは、そういう人は電話をかけてきた人を叱り、お説教をしてしまうからである。


そう言われると、〈なるほどなあ......〉と思える節がある。

じつは、苦労の体験というものは、マイナス要因なのである。

なぜなら、人間は苦労をすることによって、性格がどうしても暗くなり、いじけた考え方をしてしまう。


そして、努力によって苦労を克服した体験から、すばらしい知恵が身についたかのように思っているが、だいたいにおいてそこで得られたものは処世術にすぎない。

自分が獲得した処世術を他人に押し売りし、そのような処世術を身につけていない人を叱る傾向がある。

それが苦労の体験者の大きな欠点である。


苦労の体験はしないほうがいいし、あまり苦労の体験を持ち上げないほうがいい。

と同時に、苦労を体験しながら、明るく楽天的でいられる人は、ものすごく立派な人である。

わたしはそのような人を尊敬する。


『のんびり生きて気楽に死のう』PHP
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本書の中にこんな話があった。

『わたしたちは、貧しい人を見たり、目の不自由な人と出会ったとき、思わず、「かわいそうに・・・」と言ってしまう。

けれども、それは本質的には相手に対する軽蔑の言葉であり、言っている側の優越感が誇示された言葉である。

インドを旅行したとき、わたしはガイ ドのインド人からそのことを教わった。

インド人は言った。

あなたがた日本人は思い上がっているのではないか。

インドに来て貧しい人々を見て、日本人はすぐに「かわいそうに」と言うが、貧者の多くは幸福に生きているのだ。

あなたがたは、金持ちだけが幸福になれて、貧乏人は不幸だと思い込んでいるようだけれども、それは日本人の傲慢さである。』



実は、貧乏にも、病気にも、苦労にも、そこに色はついていない。

色とは、「大変だ」とか「つらそうだ」「かわいそう」「不幸だ」という評価や思い込みだ。

貧乏であっても幸せな人はいる。

病気であっても、幸せに過ごしている人はいる。

苦労もまた同じだ。


すべては、その人の見方次第、考え方次第でどちらにも変わる。

どんな状況にあろうと、そこに幸せの種を見つけることができるかどうか、ということだ。



「苦労」の中に面白さや楽しさを見出す人。

「苦労」をゲームのように愉(たの)しむことができる人。

「今まで、苦労したことがない」と言っている人。

それが、「苦労」を、苦労と思っていない人。


苦労を体験しながら・・・

明るく楽天的でいられる人でありたい。





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